20240519 福岡ダンスエクスチェンジ(「ゆるしのために踊れるなら…」 | 鈴木アイリ)

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一つの封筒を渡された。
開けないでお持ちください。
ダンスでありながら、「ゆるしのために踊れるなら…」
ゆるす、ゆるされない、ゆるせるか、ゆるせない
そういったキーワードが場面場面で想起される。

冒頭、いわゆるダンスではなく、演劇のようなセリフで始まり、
観客の何人かに名前を記載するように促し回収し、それをまた会場に置いていく。
名前は歴史の匿名性を、一気に当事者としての意識に変換する効果をもたらすように思う。
舞台に散りばめられているいろいろな新聞や紙などが手にとられ並び替えられる。
それは歴史を整理し解釈するためのひとつの行為なのかもしれない。
物語はたんたんと静かに進む。

中盤のクライマックスシーンで
激しいダンスを目撃することができた。
それはなにかに対して主張をし、でも、その主張は認められるものと認められないものの両方が存在し
それらの不満がぶつけられているようでもあったし、
あるいは、ダンスにより発散を目論むものであったのかもしれない。

後半、封筒を開封することを促される。
ゆるせていないこと、ゆるして欲しいこと
ありますか?
少し考えてみる。ゆるせていないことは大体は忘れる。
でもゆるして欲しいことは人生の色々な場面において思い出される、
ことをこの場面でふと感じた。

ここ最近観覧したコンテンポラリーダンスは2作品続けて(前回観た作品はこちら)、
ダンスと演劇とその表現領域の定義なんてなくなったかのようであった。
終演後、次の用事もあったため、ひとこと挨拶だけして帰路へ。
少しでも会話できればまた違った印象、解釈になったかもしれないけれど。
その日はそれで良いのかなと思った。

本文章はあくまで筆者の主観であり、あるいは、筆者が勝手に作った物語でありダンサー本人の意図と異なるかもしれません。
ご了承ください。


20240419 福岡ダンスエクスチェンジ(「ゆるしのために踊れるなら…」 | 鈴木アイリ)

20240519
あじびホール

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